汽車とキツネの衝突
東北本線が開通したのは、明治二十四年(1891年)である。
この時、北きた福岡ふくおか駅(現在の二戸駅)は設置されたが、金田一駅はそれから十八年後の明治四十二年(1909年)にようやく設置されたその頃のお話。
昔むかし、石炭を焚いて走っていた蒸気機関車。金田一から東京へと就職する若者たちは、上野駅まで二十時間余りもかかるので、三食分のおにぎりを持っていったとか。
大正の初め頃、金田一駅を巻き込んだ鉄道を舞台にした大事件が起きた。
ある日の夕暮れ、金田一駅を発車した下りの汽車。機関士は、岩舘山の麓を通過中に、線路沿いをうろついていた一匹の狐の姿を見かけたそうな。すると、機関士三人の内の一人が、いきなり傍らにあった、こぶし大の石炭を狐目掛けて投げつけた。その後もその機関士は、石炭を投げては狐をいたずらにからかっていたそうだ。
この狐は、岩舘山の岩穴を棲みかに権現、水梨、小野界隈を縄張りとしている‘いわだていわこ’だった。いわこには、きんこという娘がいた。
たびたび石炭を投げつけられていた、いわだていわこは、「このまま黙っているわけにはいかない」と友達のととめきとらこと、まがちゃかまんこに、一緒になって機関士への仕返しをしようと頼んだのである。そして、狐たちによる機関士への仇討ちの相談が始まった。
当時の線路は単線で、通行が厳しく定められていたため汽車の衝突などあり得なかった。ある初秋の月明かりの晩、金田一駅を発車した下りの汽車が、岩舘山の麓に差し掛かった時、なんと向こうから汽車が走ってくるではないか。機関士たちは慌ててブレーキをかけたが、間に合わず!あっという間に衝突! したと思いきや、一歩手前の寸前でなんとか止まった。
冷や汗をかいたもののほっと胸を撫で下ろした機関士たちは直ぐに汽車を降り、辺りを見回したが、汽車の影も形もなく、辺りは静かに月明かりだけが、こうこうと輝いているだけだった。機関士たちは、口々に不思議なこともあるものだと、話しながら再び青森方面に向かって走っていった。
機関士たちの見た、上りに向かって進行してきた汽車の正体は、実は、大胆不敵にもあの女狐たちが化けた姿だったのである。この話が金田一の駅員たちから村人の耳に入り、女狐たちの役者ぶりを様々に騒ぎ立てた。
それから数日後の夜も更けた、月明かりも下弦で薄明かりの晩に、ふたたび事件は起きた。今度は舞台を十文字川の鉄橋に移し、金田一駅を発車した上りの汽車が速度を増しながら進行し、上田面の踏切を過ぎると、鉄橋付近で下りに向かって進行してくる汽車のライトを発見した。距離が大分あったので、徐々にブレーキを掛けながら進行したが、下りの汽車は全く進行してくる気配がなく、三十間(五十メートル)位まで接近したが、ライトを照らしたまま停止していたのである。
そこで機関士たちは汽車を降りて、下りの汽車の方に歩き出そうとしたら、先ほどの汽車のライトの明かりはなく、物陰らしいものもなく、ただ薄明かりの中で線路の鉄光りが見えるだけだった。
この前のことといい、今夜のことといい、今度はだまされるものかと、急ぎ北福岡駅に向かって発車していった。今度の事件も、またもや駅員の話題となり、村人にも話は広がった。この後、この事件への対策として国鉄盛岡では、機関士たちを集めて次のように訓辞をした。「今後、金田一線路区域を走行中、決して汽車の衝突などあり得ないので、いつでもどこの場所にも拘わらず進行しろ」との事だった。
それで機関士たちは勢いづいて、今度はだまされるものかと自信を持っていたが、以前に石炭を投げていたずらをしていた機関士だけは、後ろめたさがあるためか、落ち着きがない日々を送っていた。その後しばらくの間、何事もなかったのでほっとしていた矢先、再びあのいたずらをした機関士の乗車した汽車が狙われたのである。
今夜もまた雲一つない月夜。今夜の舞台は、金田一駅を発車した下りの汽車で、再び岩舘山の麓あたりでのことだった。麓にさしかかった時、突如として「ジャジャボボ・ジャジャボボ」と煙突から黒煙をものすごい音で吹き上げ、ライトも輝きを増した、上りの汽車が勢いよく進行してきたのである。
機関士たちが圧倒されんばかりの勢いだったが、かねてより例によって覚悟ができていたので、ブレーキをかけることなく勢いよく進行を決行。あっという間に正面衝突した!
その瞬間! 全く衝突のショックも感じず何も起こらなかった。機関士たちは現場を確認するため線路を調べてみると、汽車にひかれた狐のとも足(後ろ足)が一本線路わきに落ちていた。
これがこの事件の主役である、いわだていわこのとも足であることが後日判明した。金田一駅の駅員や機関士たちは、これで事件は一件落着と、思ったのもつかの間、母親狐の足をひかれた悔しさのあまり、娘狐のきんこは数日後、夜になるとあの機関士の家に通って、寝静まった頃を見計らって茅葺屋根がガサガサと茅を引き抜くような音をたてて悩ませた。
機関士は毎晩いたずらにたまりかねて、巫女いたこに拝んでもらったら、狐にいたずらした祟りと言われて、以前のことを反省し、巫女に言われたとおり一週間の間、岩舘山の下を通る時は、魚類を手向けて態度を改めた。
それ以来このような事件はなくなった。
そして岩舘山を通る人たちは、三本足で歩いているいわこの姿を時々見かけた。
これで女狐の活躍した大芝居の幕は降ろされ、その後この女狐たちの役者ぶりが大評判となり、日増しに人気が高まった。